『冬期富士山初登頂』

 この壮挙は、高田スキー倶楽部が富士にスキー登山の先鞭をつけるべく計画中であるとの報知に急に思い立たれたもので、先覚者であるというプライドの烈しさはここにも見る事が出来る。角倉、柳澤、荒木の三氏は御殿場口より午前6時半に中畑の宿を出て9時12分太郎坊着、其処からスキーを履いて10時25分出発、午後2時25分三合目着、其の辺りより雪少なく火山歴の露出多く、剰へ時々砂混りの吹雪があり、スキーにての登行は不可能となって遂に金樏(かなかんじき)を履いて登り、6時30分六合五勺の室に到着した。小屋で炭火を燃し、渋紙製のシュラーフザックに入って安眠。明けで元旦早朝に、箱根山上にたな引く白雪の上に御来光を拝したのであった。東天に輝く暁紅の彼方、伊豆半島、房総の朝嘲を望見したその歓喜は如何ばかりであったらう。8時半再び出発、所々岩石の露出する山稜上を行く、風邪は愈々激しくなったが、意を決して攀ぢ登る。突風の襲う時は岩石の間に身を伏せて、漸く12時10分富士河口上の一小平地に辿り着いた。直に河原野中測候所に入り、野中氏倉庫南側に一行の姓名を印せる木片を打つけ、下山につく。二合八勺の小屋からスキーで滑降し、無事中里に帰ったのであった。
 斯くして富岳最初の冬期登山は当部に依って征服せられたのである。

 <班報第1号(昭和16年)より抜粋>